西村陽平:Nishimura Youhei  2018

 

 

 

 西村陽平:Youhei NISHIMURA

 

 “ フリードリヒ、芭蕉、二上山をつなぐもの:Caspar David

 Friedrich, Basho and Mt. Nijo, Those Connecting My Creation  

 

 

 10. 13 ( Sat. ) ー 11. 3 ( Sat. ) 

 

 

 

 

 

 

 GALLERY ZEROでは、20181013日土曜日より113日土曜日までの3週間の日程で、西村陽平個展「フリードリヒ、芭蕉、二上山をつなぐもの」を開催致します。

 西村陽平は1947年に京都で生まれました。キャリアの当初から現代陶芸の旗手として注目を集め、現在も質の高い作品を制作しています。しかしながら西村の作品は陶芸というジャンルだけに収まるものではなく、広く現代美術の視点から語られるべきものだと考えています。西村の作品の特徴は、シンプルな方法を用いて日常の物を多様な意味を持つ作品にする事が上げられます。良く知られているのは、「焼成」という手法による作品群です。焼成と言う手法を経た本はセラミックとなり、観る者の認識を揺さぶります。またもう一つの古書を使った作品群では、そこに書き込まれた線や記号だけを残し、他の部分を塗りつぶす事で、嘗ての所有者達の思考を私達に想像させます。

 この度の個展のタイトルは西村の創作の原点を示しています。簡潔に言うなら、カスパー・ダヴィッド・フリードリヒの絵画の崇高、芭蕉の俳句の無為、そして生と死の境界としての二上山であります。それらは様々に関連し西村の作品の構成要素となっています。そのシンプルさ故に、西村の作品は豊かな想像力と死と再生の物語としての文学性を持っているのです。西村の作品達はミニマルアートやもの派を経た現代美術に更なる豊かさを加えています。それは焼成という手法ではなく、焼成と言う概念であり、彼の作品は現代美術とアジアの陶芸史の精神を繋げていると言える。その意味で西村の作品は個性的であり、重要なのです。

西村の作品にご期待下さい。

 

 

 

Gallery Zero is pleased to present “Caspar David Friedrich, Basho and Mt. Nijo, Those connecting my creation ”, a solo show by Youhei NISHIMURA from Saturday October 13 to Saturday November 3, 2018.

 

Youhei NISHIMURA was born in Kyoto in 1947. From the beginning of his career he attracted attention as a leader of the contemporary ceramic art and has been making works of high quality. However, his works must be considered not rather the genre of crafty ceramic but more like contemporary fine art. The characteristics of Nishimura’s works are to make everyday objects have diverse meanings by using a simple method. His well-known work is a group of works made by burning. A book changes to be a ceramic object through a process of burning, which shakes the viewer’s perception. In another work using a used-book, Nishimura left only the lines and symbols the former owner of the book wrote and filled other parts with a white poster color. That makes us imagine the thought of the former owner.

 

The title of this exhibition represents the origins of his creation. Briefly speaking, they are the sublimity of Casper David Friedrich’s paintings, Mu-i (meaning natural, spontaneous in Japanese) of Basho’s haiku and Mt. Nijo as the boundary place of life and death. They are variously related one another and constitute elements of his works. Because of its simplicity, his work has rich imagination and literary character as the story of life and death. Nishimura’s work adds further richness to contemporary art that has created Minimalism and Mono-ha. It is not only the method of the burning but also the concept of the burning. His art works connect contemporary art and the spirit of Asian ceramic history. In that sense, his work is very unique and important.

We hope you’ll enjoy Nishimura’s work.

 

 

 

 

 

フリードリヒ、芭蕉、二上山をつなぐもの( 2018 / 10. )

 

 高校生の時、「芸術新潮」をパラパラと見ていたとき、ふと一枚の絵に目が留まった。カスパル・ダーヴィト・フリードリヒの「山上の十字架」だった。なぜフリードリヒの絵が自分にとって意味があるのか、わからないまま、印象だけが強く残った。

 大学生の時、卒論とはとても言えないが、文章を書かなければいけない機会があった。「美術における無名性」というテーマで書いた。当時(現在も同じだろうが)表現するためには、個性が大きな要素を占めていたと思う。これに疑問を持ちながら、どこに向かって進むのかわからないまま、何か形として残したいと模索していた。

 その後、フリードリヒから、さらにヨーゼフ・ボイスまで大切な作家となっていた。そして、ロバート・ローゼンブラムの「近代絵画と北方ロマン主義の伝統-フリードリヒからロスコへ-」に出会い、自分の位置を確かめる機会となった。

 2018年、今年1月の個展の折、「美術における無名性」について土田眞紀氏から示唆をいただいた。芭蕉の「造化にしたがひ、造化にかへれとなり。」(笈の小文)理智や私意・私情をまじえないで、自然に接することにより、本質が見えて詩の心(風雅)となる、ということであろうか。思いがけないことで、欧米に向きがちな目を身近なところに向けていただいた。

 また、奈良の当麻寺を訪れた時、二上山をのぞみ、当麻寺に伝わる説話を思いめぐらしながら、飛鳥時代、二上山は死者の魂が行くこの世とあの世の境界だったという話になぜか、心に強く残った。

 

西村陽平